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メモの堆積、ゴミの堆積

ヴィム・ヴェンダース『パリ・テキサス』(1984)

 とてもいい映画だった。

パリ、テキサス デジタルニューマスター版 [DVD]

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 全てを捨てての放浪、家族の再会、失われた自己の回復、そして父親的な自己同一性をめぐるコンプレックスといういかにもアメリカらしい題材なのだが、同時にどこか違うものも感じさせるのはなぜだろうか。どこかドライなのである。最後にトラヴィスが妻のジェーンと再会し、マジックミラーと電話ごしにクリスチャンのごとき告白をするあのシーンのように、この映画のアメリカ感は奇妙に媒介された印象を受けるのである。もちろんそれはこの映画の監督がドイツのヴィム・ヴェンダースだからというおおざっぱな理由で終わらせることはできない。またはこう言ってもいいかもしれない。あまりにもアメリカンなので変な感じがする。つまりよく出来過ぎているのである。

媒介性。そういえばこの映画には媒介がかなりの頻度で登場する。まず4年間も行方知れずであったトラヴィスの消息が弟のウォルトに知れたのも、彼がウォルトの名刺を持っていて彼を看取っていたらしいヤブ医者が電話をかけたからである。失踪後のジェーンは電話でウォルトの妻アンに連絡をし、ハンターの口座を経由して仕送りをしていた。ほとんど記憶喪失状態であったトラヴィスが記憶を取り戻したのも家庭用ヴィデオ写真を通してである。彼の記憶の回復とそれにともなうアイデンティティの回復はそれらだけではなくてウォルトやアンが彼について語ること、すなわち彼と彼女の記憶言葉も重要な役割を果たしていた。ハンターとトラヴィスの仲が深まっていたところで、二人は学校からの帰路、道路を隔てて反対の歩道を歩いてゆく。アンを探しにゆく際、ハンターはトラヴィス無線機の用意を頼み、それが彼女の発見に欠かせない役割を演じた。そしてなにより、トラヴィスとアンは直接対面はしない。視覚的に一方通行のマジックミラー(映像では明かりさえ当てればアンからもトラヴィスのことが充分見れるのに、一方通行の設定にしてある)と、マイクスピーカーを通して出会い、記憶を語り合い、彼は彼女に息子を託す。

こじつけかもしれないし、この映画に限らず媒介物など現代であればいくらでも登場すると言えるかもしれない。しかしアンとの邂逅のシーンがこのように考えさせるよう誘っていると自分には思えてしまう。そしてそこから飛躍して、ヴェンダースとアメリカの間の媒介を考えてしまうのだ。本作は分かりやすくアメリカ的な自伝にまつわる映画である。おそらくそれは同時に、ヴィム・ヴェンダースにとってもアメリカと彼自身を隔てる媒介があるということ、または両者が媒介を通じてこそ接続しえたということを物語っているようにも思う。彼は他にもアメリカにまつわる映画を多数撮っている。それらは本作とどのように違うのか、違わないのか、もっと考えてみたい。

ちなみに本作の音楽担当はライ・クーダーというギタリスト。彼のスライドギターはとてつもなく太い。そして歌声もよい。

スライドも基本的には指が直接減に触れることなく弾く奏法である。『パリ・テキサス』で彼が奏でるスライドギターの音色は媒体の呻り声といえようか。

クーダーのことを調べてみて初めて知ったのだが、彼は『クロスロード』というギターバトル映画で主人公のギターのアテレコ演奏をしている。この映画はかなり昔から知っていたがいまになって新たな発見があるとは思いもしなかった。

そしてもう一つ。有名なことならしいがスコットランドのバンド、トラヴィスのバンド名は『パリ・テキサス』の主人公のトラヴィスからとられているようだ。ああ、なんだかとても懐かしいものばかりがどんどん出てきてややノスタルジックになってる。