for all bulmic imitators.

とある平凡な社会人によるメモの集積

伊藤潤二『伊藤潤二自選傑作集』

 読んだ。

伊藤潤二自選傑作集 (朝日コミックス)

伊藤潤二自選傑作集 (朝日コミックス)

 

 富樫義博が影響を受けたという伊藤潤二。とりあえず「自選」とのことなのでいい作品揃いなのだろうと期待して読んだ。自分の首を吊りにくる自分の大きな顔の話と、夢の体感時間がどんどん長くなっていって身体が変容しちゃう話が好き。読んでて一番きつかったのは油度がどんどん高まる焼き肉屋の話。もうあの部屋の感じとか、ニキビ多発して引きこもりになるところは精神的にとてもつらかった。

読んで思ったのは、確かにグロいし悍ましいけど、それ以上の何かが感じられなかったということだった。個人的には、後ろめたい魅惑のようなものを期待していた。見てはいけないんだけどつい見てしまうような後ろめたい魅惑。もしかしてこの印象と関連してくるのは、少なくともこの選集には性的なモチーフがほとんど皆無だということだろうか。グロいし怖いが性がない。漫画の線は太めでそれが暗く湿度の高いあの感じとともにある種の魅力を放っているが、そこがどこか物足りなさでもある。その点も含めて、彼が影響を受けているであろう江戸川乱歩の小説に近いと言えば近い。

私は、より線が細くて、後ろめたい欲望に浸らせてくれる漫画が好きなんだということに気づかせてくれた点で、読んでよかったと思った。

歳をとった

最近、「歳をとったな」とよく思う。そういう症候がある。

例えば体力の衰え。以前は普通にこなしていた作業も、今では休息なしにはできない。それも一日単位での休息さえある。また飲食に関しても、以前であれば余裕で食べれたていたものが今では結構つらかったり、あとアルコールの抜けが遅かったり二日酔いになりやすかったりする。もっと深刻なのは思考の老化で、以前なら興味をもってある程度の時間をかけて考えていたような事柄が、今ではそういうことを真剣に考えるような年ではないなと斬り捨ててしまったり、そもそも検討の候補にさえならなかったり。つまり興味の幅が狭くなって思考が硬直化する。

私はいまアラサーである。たかがアラサーに突入しただけでこれほどまでに変化するものなのか。確かに、就職してその組織のなかで揉まれ、将来設計のことを本格的に考えるようになり、さらにある程度の収入が確保されれば今までの生活が一変するため、それが考えに影響を及ぼすことだってあるだろう。「30代になるまでの経験がその後の人生を規定する」と誰かが書いていた。また同様に「20代までに経験したこと思考したことがその後の人生の基盤を形づくる」という文句もある。確かに早いうちにいろいろ経験しておいた方がよいのだろうが、なんにせよ、それは歳をとってしまうと思考が固まってしまうから早いうちにいろいろなものに触れて自分の可能性を拡げておくべきだということだと思う。

時間はない。だからいまのうちにいろいろやらなくては。自分の悪癖に繰り返し同じものを観る・聴くというのがある。それは単純に思考停止による気持ちよさのための反復に過ぎない。いま、そんな思考停止に浸る余裕はない。

Taylor Deupree, Comma (1998)

Bandcampでニューヨークのレーベル「12k」のページを見つけたので最近よく聴いている。これは「12k」の創設者のTaylor Deupreeのアルバム。リズムがよく、かつ一つ一つの音がかっこいいので単調でも聴き続けることに苦はない。

ある程度音楽を聴きなれた人は、アーティスト聴きやジャンル聴きからレーベル聴きへと自然に移行するように思う。自分もやっとレーベル聴きを試しているところに来た。

冨樫義博『幽遊白書』

一日使って読んだ。

幽遊白書 全19巻セット (ジャンプ コミックス)

幽遊白書 全19巻セット (ジャンプ コミックス)

 

 『ハンター×ハンター』、『レベルE』と読んでいって初めて『幽遊白書』を読んだ。親戚の家に行くと置いてあって存在自体は確認していたが、暑苦しい学ラン不良モノが苦手で当時は作画も野暮ったく見えたので敬遠していた。それがいままで読まなかった理由。だけど最近昔の富樫作品読みたい欲が高まり、その流れで読んだのであった。

ミーハーらしいところかもしれないが、やはりたぬきの恩返し回が好きだ。普通に泣いた。能力バトル感強まってくるところはあまり好きではなく、魔界編のトーナメントあたりで能力インフレのスパイラルから抜け出したところに好感を抱いた。絵も暑苦しくて好みではないけど、風景なしでキャラだけが細い線で描かれているところが好き。彼の描く臓器は美しい。繊細に太い直線とカーブを描くときにちぎれそうになるいとおしさ。「手抜き」という人はいるかもしれないが、そこに彼の絵の魅力があるように思う。私が蟻編の絵をこよなく愛しているのはそのためであろう。

あ、『幽遊白書』で好きなキャラは幻海です。

Yellow Magic Orchestra - Yellow Magic Orchestra (1978)

 最近、YMOをよく聴いている。

イエロー・マジック・オーケストラ

イエロー・マジック・オーケストラ

 

 特にファーストが好きで創り込みが凄まじい分、凄まじく聴き込むことができる。毎回聴くたびに思うのは音の豊かさと音への愛に溢れているということ。わずかに流れるかすかな音にも愛がこもっているように思う。これだけのアルバムだとすべての曲を好きになれる。はじめは「COSMIC SURFIN'」が好きだったが、「SIMOON」へ、「LA FEMME CHINOISE」へ…と聴くごとに好きな曲がどんどん増えてゆく。

ただ、日本版のアルバムはミックスの問題からか少しだれているように聴こえる。むしろ、US版の方が締まりがあってよい。US版の「LA FEMME CHINOISE」は泣ける。ラプソディー形式(あってる?)であるため展開勝負なところがあり、絶妙なミックス具合が要求される。最後の展開部ではシンセの音が圧倒的でなくてはいけないが、日本版だとただ流れているだけという感じがしてならない。 

イエロー・マジック・オーケストラ(US版)

イエロー・マジック・オーケストラ(US版)

 

Yellow Magic Orchestra - Live at The Greek Theater, Los Angeles, 1979


Yellow Magic Orchestra - Live at The Greek Theater, Los Angeles, 1979

YMOの初米ツアー映像。

個人的にスタジオ版の "Cosmic Surfin" が好きなのだが、ライヴになるとピアノの伴奏が消えてお祭りリズムが前面に来るのであまり好きではない。これはYMOの音楽的コンセプトとライヴをやることとの折り合いからくるものなのだろうか。

それに付随して思うのがやはりギターがいること、特に渡辺香津美がいることの違和感。当然なんらかの意図があるのだろうと思うが、やはり彼は浮いているし、ギターソロは邪魔としか思えない。彼がいるということはどういうことなのだろう。

アンコールの "Tong Poo" でとくによく分かるが、坂本龍一がかなりアドリブを入れている。機械のようにというのが彼らのコンセプトだと思っていたので驚いた。まだこの頃のライヴの方針がまだ定まっていなかったということなのだろうか。

Ryoji Ikeda『0℃』(1998)

Ryoji Ikedaの『0℃』を聴く。

0oC

0oC

 

 本作は「C」(1997-98年)と「0°」(1998年)という二作から成る。後者は『+/-』の「Headphonics」のように聴きやすさのある作品で、前者はもう少し「実験音楽」感がある。

基本的には、『+/-』と同じく、ノイズのなかに「音楽」を見出してゆく試みであるように思った。一聴すると単なる超高音でしかなく普通であればあまり聴き続けたいとは思えない音が、他の音との並置によって、聴き続けることが全く苦ではない「音楽」へと変容する。ノイズに音楽はあった。正確に言えば、ノイズの中に音楽があったということなのだと思った。

だからAlva NotoのTransformのような、ノイズを組み合わせて聴くに堪える音楽を作る方法とは異なる。確かに超高音のノイズにビート音が併走するようなものはあるにせよ、全体としてみるとおそらく池田亮司コンポジションはそうではなくて、音それ自体への執着が重要な位置を占めているような気がする。だから音素を変換してポップミュージックになることを想像することは難しいし、それに伴うファニーな印象もない。

bulimic-imitation.hatenablog.com