生まれと育ち

生まれと育ちの悪さを自覚させられる出来事が続く。「良い、悪いなんて相対的なものに過ぎない」。そう言う人はいるかもしれない。本当にそうならこの世界がこの姿かたちで成立しているはずがない。イデオロギーだと言ってみたところで、そんなのは気休めにしかならない。生まれも育ちも悪い人間が、生まれも育ちも良い人間といろんな面で同等になることはないのだし、「知的労働」なるものに携わる人間にとってこの差は非常に深刻である。確かに努力によってこの差はどうにかすることができる。しかし、そうしてみても、生まれと育ちの良さへ憧れているという事実はどうしようもないし、この憧れとそれに対する反発を同時に抱えることで自己形成をしてきたことは決して無に帰すことはない。「自己を見つめよ、現状を正しく認識することから批評が始まるのだ」。そうなのだろう。特に批判する気はない。だがそれは痛く、辛いことでもある。

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黴は美しい。時間の堆積を見せてくれるから。美しく積み重なったものは、乱暴に壊したくさせるような引力を備えている。指でなぞって壊してみたくなる。その魅惑を引き受けつつ、それでもじっと耐えて見続けることに黴との対峙における快楽がある。

「Mold」の画像検索結果

Is Toxic Mold Exposure the Cause of Your Symptoms?

Luigi Nono, Dell'Azzurro Silenzio, Inquietum

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古代と未来の遭遇。自然のような、しかし同時に機械的でもあるような風景。そしてそこには確かに途轍もなく恐ろしい何かがいて、時折りその存在を垣間見せる。

本日の収穫

 狩りの成果。前者は普通に文庫で入手可能だが、装丁が良かったので買った。

映像の詩学 (1979年)

映像の詩学 (1979年)

 
人権の彼方に―政治哲学ノート

人権の彼方に―政治哲学ノート

 

 

 

渋川剛気

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相手がどこに力を入れていて、そのためにどこが手薄になっているかを見極める。力の入っているところに惑わされず、そこを躱し、守り切れていないところを適度な力で突く。そしてそのためには常に脱力しつつ適度に力を込めていなくてはならない。これは武術に限ったことではないだろう。他者との精神的な交流についても同じことが言える。相手の氣を読み、適度な力で応答する。

しかし、それはどれほどの人までに当てはまるのだろうか。そもそも力の抜きどころと入れどころの妙をわかっているひとにとって、このような応答の仕方は意味ないだろう。だからもしかしてこれは対雑魚専用の技なのかもしれない。

Gary Burton: NPR Music Tiny Desk Concert

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心の浄化のために定期的に再生する。ジュリアン・ラージ(「レイジ」ではない)のギターの音が凄まじくヴァイブラフォンの音色にとてもよく合う。コードやメロディで干渉しあうこともなく、互恵的な関係が築かれている。

浄瑠璃

先日、人形浄瑠璃を観に行った。演目は『曽根崎心中』。醤油屋の手代の徳兵衛が親族政治に巻き込まれ、その上友人に騙されていわく者になってしまい、恋人である遊女の初と心中するという比較的知名度の高い世話物である。徳兵衛と初は自殺する際になって死ぬことへのためらいを見せるし、別に死ななくても他の土地に逃げればいいじゃないかとは思ったが、それはたぶん徳兵衛が口にする「恥」と関わっているのだろう。死すれば恥も削がれるという旨のことを言うが、恥があるから逃亡ではなく死を選ばずにはいられなかったのだと思う。浄瑠璃を観るのは初めてではないけど、それにしても今回観てみて痛烈に感じたのは、浄瑠璃は人形が生身の人間を想像させることも、単に人形遣いに操られた人形が動いていることを冷静に確認するということもあるけど、それらにもまして大事なのは、人形が人形として喜んだり泣いたりしているというようにみえてくるところなのではないかな。人形の情念をみれるのが浄瑠璃の面白いところだと思う。